窓から差し込む光、或いは窓から覗く風景を眺めていつも感じることがある。
それは、光の色に季節があるのかということ。木々の葉の付き方とか、体感温度とか、通りをゆくひとの服装とか
空気中の水分量とかを全部無視して、純粋に光だけを眺めた場合、自分は季節を当てることができるだろうか。
ぼくはできないんじゃないかと思う。それは宇宙に季節がないように太陽から届く光そのものにもやはり季節が
ないからである。なんでそんなことを考えるのかと言えば、ひとの認知能力は視覚以外の感覚に大きく頼っている
ということを再認識したいからである。
一日中何某かの画面を見ていると、視覚情報こそがすべてのように錯覚する。たしかに視覚から得る情報量は膨大だ。
しかし情報量が増えると実際に得る情報が減るというこれだけ聞いたら逆説にしか聞こえないエントロピーの法則を学んだのは
たしか大学生のときだった。
移住して一番良かったことは森がすぐそばにあることである。もちろんそれを目的に都心部から移住したのであるが、
その効果は絶大だった。よく晴れた日の森ほど素敵な場所はない。もっともこれからの寒い季節は森の中よりも森と畑の
境目のよく日の当たる場所が最高である。森の匂いはぼくを落ち着かせる。夏のむせ返るような匂いもたまらないが、
秋や冬の仄かな香りだって捨てたもんじゃない。
森には音がある。春鳥たちがさえずり、夏虫たちが合唱し、秋木の葉が擦れ合う音が聞こえ、冬の静寂。
ロードノイズが絶え間なく響く都会では決して聞こえてこない音である。
暑さ寒さ以外にも肌で感じることはたくさんある。そうしたいろんな感覚から得る情報をひっくるめた知識と経験が、
光に色付けをする。
一輪挿しが前から欲しいと思っていたがなかなか手を出せずにいた。いいなと思うものは何万円もして手が出ないからである。
そこへたまたまでかけた地域イベントで青の可愛らしい一輪挿しを見つけた。2700円であった。新潟の青人窯という陶芸工房が
つくる花器だった。手の中にすっぽり入る小ぶりな一輪挿しで、青の具合が素朴だが活ける植物を引き立てるように直感して
購入した。この他に形状の違う一輪挿しが二つ三つあったが、このずんぐりして丸い感じが気に入った。
ものがよいと制作意欲が湧くものである。この一輪挿しを使って静物写真が撮りたくなったのだ。
我が家には直射日光が入る時間が1日に二回あって、朝の1時間ほどと逆サイドに回って夕方の1時間ほどである。
このほんの僅かな時間で撮影をする。フレーミングしていると光の向きがどんどん変化していくのがわかる。
だから短時間でちゃちゃっと撮影を終えなければいけない。しかし逆にそれがいい。
ブツ撮りというのは時間をかけようと思えばいくらでもかけられてしまう。ストロボを使用した撮影など時間が
いくらあっても足りないことになる。だけど自然光ならそうはいかない。与えられた条件の中で最高を引き出す
格好の訓練になる。