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背景 is everything

真冬は午後になるとすでに夕日の趣きになる。

日の出が七時近くて日の入りが十七時前だから日中がやたら短く感じる。

だから空気が十分にあったまる間もなくてすぐに夜が来るから寒いわけだ。

 

息子と一緒にカマキリの卵を探しているとやたらに見つかるのがハラビロカマキリの

卵である。ぼくはこれをコカマキリの卵とずっと勘違いして四十年以上生きてしまったが

息子に指摘されてようやく正しい答えを得た。

 

卵の数のわりに成体をあまりみないのは淘汰が厳しいせいだろう。

ひとつの卵鞘からだいたい二百匹くらい生まれるらしいが、そこからぶじに

大人になれるのは二三匹ではないか。ここに肉食生物の悲哀を感じる。

 

肉食は生態系ヒエラルキーの頂点に立つが、その先っぽは限りなく点であり、種をつなぐのは

綱渡りだ。自然界でライオン一頭生かすのに水牛が四百頭必要であるとロストワールドの中で

言っていたのを思い出した。

 

太陽の光は容赦ないが鋭利な空気にその牙を抜かれた。

枝に無数についた蕾は春の到来をじっと待ち、そこへついたハラビロカマキリの卵は

開花を目覚まし時計にでもするつもりなのか。もっとも花が咲いて花が落ちて新緑が

芽吹く頃ようやくまどろみから覚めるのだろうよ。

 

A7IIIはEVFが粗いせいかピーキング表示が今ひとつに感じる。

フォーカスが合っているところが白くチリチリと光るわけであるが、

そのチリチリ具合が実際よりも広くみえてしまう。だからピントが合ってると思っても

あとでPCでみると合っていなかったりする。それでもずいぶん長いことピーキングを使用してきたが

最近思い切って外してみた。そしたら視界がすっきりして見やすいではないか。

被写体にもよるが、今度からは必要な時だけピーキングをつけることにしよう。

 

A7IVは未知数である。だってSILKYPIXがまだ対応していないんだもの。しかしA7IVのライバルは他社のカメラ

ではなくてA7IIIだな。操作性に難ありだがつくづくよいカメラであると思う。その操作性をことごとく改善(背面モニタ以外)

したのがA7IVだが、価格差が大きいのでそこをどうみるかが選択の分かれ目ではないか。

 

美しい繭を見つけた。しかしそれは柵の向こうの栗畑にあって、だから勝手に入るわけにはいかないから

柵越しに眺めるだけだ。黄色と緑の中間の色をした繭で、蚕蛾くらいの大きさがある。大変めずらしい。

ぼくは森の中で同じような繭がないか探しているが未だ発見に至ってはいない。

 

蛾も小さいものは害虫レベルで存在するが、大きなものになると途端にその数が少なくなる。

ヤママユガなどある種類の蛾は成虫になると口がなくなってしまう。その事実を知った時、ぼくは

なんと潔い生き物なのだろうと尊敬の気持ちすら湧いた。幼虫のときに蓄えたエネルギーだけで

交尾相手を探し、子孫を残せても残せなくてもガス欠になったら終わり。まさにデスマッチである。

 

そんなふうに思うのは成虫という概念を人間の大人に結びつけているからであって、

幼虫から成虫までの一連をひとつの生であり、それが蛾にとってのいち日であるならば

眠る前に食事を摂らないのは別段不思議なことではないのかもしれない。昆虫はそんな時間感覚を

ときに教えてくれたりもする。