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オウンドメディア批評 第五回 うなぎの寝床Youtubeチャンネル

 

うなぎの寝床とは福岡県八女市にある地元密着のアンテナショップであり、宿もやっている。地域で生産されるモノをそのまま或いは現代的にアレンジして販売している。私の妻が九州出身ということでうなぎの寝床の存在を知り、帰省の際に訪れたい場所リストの上位に位置しているがまだ実現できていない。

 

 

 

こうした地元に根付いた産業を再興しようとするショップなり活動は全国にあるのではないかと思う。個人的に手作りだとか、昔からという言葉に弱い。とくに行政がやっているのではなくて、民間企業がビジネスとして活動しているのが好きである。本気でやっているからかもしれない。ということで、妻の故郷という偶然で知ったうなぎの寝床のYoutubeチャンネルを批評してみたい。

 

 

 

はじめに

 

 

 

よいコンテンツとはなにか。

 

視聴回数やチャンネル登録者数はコンテンツ提供者にとって励みや収益になるが、数が多いことがよいコンテンツの証ではない。これは、断じて違うとはっきり言っておきたい。

 

 

 

そもそも世間の人々は良質なコンテンツを求めて映像をみるのではない。ほとんどのひとは暇つぶしに見るのである。結果、テレビのバラエティ番組を素人が模倣したような動画が人気を博すことになる。最近テレビを見るひとが減ったなどというが、テレビからYoutubeにメディアが変わっただけで見ているものは変わらないのである。それで割りを食ったひとと得したひとがいるだけである。Youtubeの功績は、テレビ業界が独占していた動画配信というサービスを一般に開放したことにある。

 

 

 

暇つぶしではなく真剣に動画を見たいというひとも少なからず存在する。しかしそうしたひとは全体からみれば一握りだろうし、それが各々の分野に分散するから視聴回数が上がらないのも無理はない。コンテンツ提供者は常にジレンマに悩まされている。つまりより多くのひとに届けたいという思いと、世間に迎合していいのかという思いである。或いは、それをジレンマと感じることなく暇つぶしコンテンツへと変貌してしまうこともあるだろう。世の中は数値社会だから、どうしても数字にばかり目が行ってしまうのは仕方がないとも言えるが本当は違うということは忘れないでほしい。

 

 

 

よいコンテンツを作りつつ、その見せ方や伝え方を変えることでより多くのひとに届けようとするのが最善の策である。その方法についてうなぎの寝床を例に見ていきたいと思います。

 

 

 

技術的なことについて

 

 

 

うなぎの寝床のコンテンツは大別してショップチャンネルとオンライン会議を録画したものの2種に分かれる。ここではショップチャンネルを話題に進めたい。

 

 

 

ショップチャンネルは商品担当者が語る形式のものだが、結局よいコンテンツとはこういうものなんだろうなと再認識させてくれるものがある。飾り気もなにもないが、過不足なくよしと思える。このままずっとこれでいいと思う。数字の悪魔に騙されずに続けてほしい。

 

 

 

 

 

動画で最も重要なものはなにか?

 

 

 

映像なのだから画質か?

 

撮影テクニックか?

 

編集技術か?

 

 

 

全部違う。

 

 

 

答えは、音質である。

 

 

 

日本人は、プロでさえ、これを理解していないひとが多い。

 

 

 

セリフが明瞭に聞こえない動画は見る気を削ぐ。逆に言えば、音質さえよければ画質の悪さなど目を瞑れるのである。

 

 

 

ハリウッド映画でセリフが聞こえない映画はない。どんなに大爆発が起きていようと、人物のセリフははっきりと聞こえるのである。これは、映画の視聴者は神の視点を持っているという考えに基づくからである。それに、そもそもセリフが聞こえなかったら意味がわからないじゃないかという現実的な見解も当然ある。

 

 

 

ところが、日本映画はセリフが実に聞き取りづらい。これは観客がレンズの前に立っていると仮定しているからであるが、よく考えてみればそんなことはまったくナンセンスなのだ。リアリティとリアルを混同している。日本映画は昔っからそうで今でもそうであるのが私には不思議でならない。ある意味旧態然とした業界を象徴しているとも言える。

 

 

 

話がずれたが、うなぎの寝床はちゃんとマイクを装着しているので音声が明瞭だ。もうそれだけで全部オッケーである。マイクは価格によって当然音質が異なるが、一番大切なのは話者との距離である。高級なマイクをカメラに取り付けて撮影するより、値段が安くても話者に取り付けたほうが遥かによい結果が得られる。マイクのコードが見えているからかっこ悪いとか、位置がどうとかというのはどうでもよい部類の話である。ただし、あまり口元に近づけすぎないほうがよい。近すぎると呼吸音がふーふー入るからである。

 

 

 

余談だが、私はニュースなどで見る取り付け方が嫌いである。マイクから伸びるコードがくるっと輪を描いている付け方である。あれは、コードを鋭角に曲げずに、断線を防ぐための取り付け方だからである。見栄えなど気にしないと言っておきながら、昔から気になって仕方がない。なぜかと言えば、日本映画の音声が聞こえないのと同じように、こうしなければならない、こうであるべきだ、という業界の持つ体質がマイクの装着から透けて見えるからだろうと思う。

 

 

 

うなぎの寝床の音声以外に目を移せば、撮影のやり方など改善できるところはたくさんあるが、本質的な問題ではない。もっともそうしたわずかなところをきちんと詰めていくことがよりよいコンテンツを作るということなのかもしれない。

 

 

 

コンテンツのことについて

 

 

 

うなぎの寝床のショップチャンネルは商品をバイヤー自らが語るので中身がある。中身があるというのは身体性を感じるということである。メーカーのプレスリリースに「てにをは」をつけただけのようなよくあるレビューワーとは違う。よいコンテンツを作る上で身体性は欠かせない要素である。もっと言えば、身体性なくしてよいコンテンツを作ることは不可能である。

 

 

 

身体性とは簡単に言えば借りてきた言葉ではなく自分の言葉で話すということである。自分の言葉で話すにはその商品を知っているだけではだめで、なおかつ好きでなければいけない。しかし、ただ好きだからまくしたてればよいというものではなく、伝えるためにきちんと整理して、要点を明確にする必要はある。だがそうしたテクニックは身体性ありきの話である。世の中テクニックの話ばかりで、そうした本を読んで成功しましたという話を聞かないのは身体性というもっとも教えにくいものがすっぽり抜けているからである。これは私自身の課題でもある。クライアントに身体性について理解してもらうのはテクニックを教えるより何十倍も難しい。

 

 

 

まとめ

 

 

 

今回はたまたまうなぎの寝床のYoutubeチャンネルを取り上げさせてもらったが、似たようなチャンネルは多いと思う。おそらくみんながもっと再生回数をもっと登録者数をと願って活動していると思うが、どうかウケるコンテンツ作りではなく、よいコンテンツ作りに力を注いでほしいと思う。よいコンテンツ作りを目指した結果、商品が売れるようになったとなるのが最高ではないか。